2009年 01月 24日
「まほろば」の謎…いったい何が… |
国家体制が整い行政と宗教が合体し、隆盛を極め、この世の春とばかり花ひらいた天平文化。
一時は120万平方メートルの敷地に10~20万人が暮らしていたという。
それがなぜ80年足らずで、寺社仏閣をそのまま残してごっそりと出て行ったのだろうか…
そしてその後、どのように歩んで現在の「奈良」になったのか…
ミッシングリンク。
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平城遷都1300年祭に参加するイベント・プログラムの一つ【zhu JI SI AONIYOSHI 祝祭祀あをによし】。
企画を立ち上げ、プロデューサーとして動き始めたけれど、これからさまざまの分野の方たちの力をお借りして、さらに大きくしっかりとした形にしてゆかなければならないと思っている今日この頃。
その前に、このタイミングで、もう一度「平城京」というものについて考えてみたいと思った。
考えれば考えるほど、「不思議ちゃん」という私の結論に変わりはないのだけれど。
その「不思議ちゃん」の正体は一体なんだろう。
というわけで。
昨日は、ギャラリーのオーナーで聖徳太子の異端研究者でも知られているムシャさんに話を聞くため、銀座の「武者小路ギャラリー」を訪ねました。
「むしゃのこうじあつのぶ」という名前が長すぎるので「ムシャ」さんと呼んでいるけど、お爺様は「実篤」。
さて「聖徳太子」は平城京の奈良時代より前の飛鳥時代の摂政なので(真ん中に文化的に分類される白鳳時代を挟んでいる)、100年以上ズレているのだけれど、細かいことはあまり気にしない(笑)。
飛鳥時代は、仏教の興隆、律令の制定など、後の藤原京、平城京へと続く天皇中心の国家体制の礎となったから。
歴史を紐解く上で順を追ってゆくのは悪くない。
ちなみに飛鳥時代の前は、古墳時代。
歴史的事実を研究する時、カギとなるのが、日本書紀や古事記、中国などの文献と遺跡(寺や墓など)。
しかしそれらが後の世に、都合の良い真実に置き換えられたとすれば…。
仮説、推察、想像が入り込む余地となる。
そもそも「聖徳太子」という名前自体が平安京以降の呼称。
「厩戸王」に改正している教科書もあるらしい。
参考にした文献や切り口によっては、漫画史上に残る名作、山岸涼子の【日出処の天子】に見られるような「厩戸皇子」像も生まれる。
墓所は大阪府にある磯長陵(しながりょう)だとされているけれど、石の細工や乾漆の技術から、後世に祀られたものではないか?と。
聖徳太子にまつわる伝説やミステリーは数々あるけれど、その背景で権力を握った蘇我氏の話から壬申の乱、続いて話は平城京に移る。
春日大社、興福寺、薬師寺、新薬師寺などあちらこちらの寺社仏閣に見られる、政権を握った藤原氏の莫大な権力、金力。
2010年10月に東大寺で式典が予定されている「光明皇后」も藤原一族の娘だ。
仏教美術や万葉集の美しさやたおやかさの裏に秘められた謎。
それは…
平安京に移ったのはなぜだろう。
人口が増えて手狭になったから、土地・水ともに豊富で平城京と同様の地形をした北を目指した、権力闘争、大仏建立で水銀汚染があった…等々、諸説紛々。
きゃー、とってもミステリー!
古代って、なんてロマンチックなんでしょう。
そしてそこに住んでいると気がつかないのだけれど、1300年かけて脈々と積み上げてきた「まほろばの都」気質というものが、今の奈良県を象徴しているような気がした。
今もなお独自の発展をし続ける京都とよく比較されるのだけれど。
奈良の場合はなおざりにしているのではなく「そのままにしておく」選択が根底にあって、そこには一つの大きなタブー視される意志が介在し、土着の強い思想が存在するように思うんだよね。
住んでいると気がつかないのだけれど、とりもなおさずそれは、今の日本人気質をも象徴しているような気がする。
おそらく諸外国から見たときの、日本の、日本人の不思議ちゃん度に通ずるものがあるんじゃないかな?
面白い、古代の歴史。奈良の歴史。ということで、今日も朝からウィキペディアのハシゴをしている(笑)
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さて一時間半一気にしゃべってくれたムシャさん。
今度は場所を移して「サブプライムローン」について話し出した。
私が「貨幣価値の世界同時下方修正」という危ないことを言い出したため。
「今までいろんな経済学者と話をしたけれど、そんな発想とは一度も出会わなかった」
それは私が経済を知らないからだと思う。
「だから面白い。悪い意味じゃなくて、ラジカルで乱暴な人だな。その無邪気さが大切」
たまには、知らない強みというのもあるし、それだから柔軟な発想が生まれることもあるかも知れない。
「チャレンジ!」に繋がる、一つの大事な形態だと思っている。
だけどそれだけでは物事は動かないし、動かせない。
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さて写真は、「蜆汁」。
河岸を変えた小料理屋「ひき田」で、最初に出てくる。
ビルの地下一階にあるこじんまりとした店で、ちょっと分かりにくいところにある。
板さんが毎日食材を品定め、お値段もお手ごろ。
昨日は牡蠣フライが絶品だったなぁ。
ムシャさんの難しそうな講義を大人しく聴いている私が可愛そうに見えたのか、女将さんが気ぃ使って、節分のお豆さんと可愛い丑さんのお人形をプレゼントしてくれた。
「ちょっと、邪魔しないでよぉ、今、サブプライムローンについて説明してるんだからぁ」とムシャさん(笑)
とにもかくにも、とても濃い時間で楽しかった♪
あまり関係のない話に見えて、実は舞台「zhu JI SI AONIYOSHI 祝祭祀あをによし」のたいへんなヒントを頂いたように思った。
by sana_labo
| 2009-01-24 12:18
| 平城遷都『祝祭祀あをによし』